あるがままに 感謝の日々

絶望から必死に立ち上がろうともがいている死別シングルマザー(2児の母)の日記です。

一生立ち直れない自信だけはある

いつも夜寝る前になると、「なんでこんなことになったの?」「会いたいなぁ」と夫に話しかけてしまう。

本当に、いつまでもずっと信じられない。

一生この想いは消えない。

底なしの絶望に落ちていくのみ。

子どもたちがいるおかげで生きている。

それでも生きるだけで精一杯で、それ以上のことは余裕がない。

将来のことや老後のことを考えると、子どもたちに迷惑をかけたくないから、安楽死を認めて欲しいと思ってしまう。

言わないだけで、同じように思っている人はたくさんいるんじゃないかと思っている。

 

正直に言います

私も夫のそばに行きたいと思う。

ほぼ毎日思う。

でもそうできない理由がある。

まだ小学生の娘と中学生になったばかりの息子がいて、子どもたちを育てる使命があるのである。

あまりに絶望的で、まだ前向きに進めていない。

とりあえず死なないように、とりあえず現状を維持できるように生きるだけで精一杯。

本当は、一馬力で二人の子どもを育てるだけの経済力を求めて行動を起さねばとは思うのだが、今は目の前のことだけで精一杯で余裕がない。

 

なぜ出会ったのか どんな意味があるのか

このように考えずにはいられない。

夫は私と出会わなければ良かったのではないだろうか、と。

結果として不幸になってしまったのだから。

私が幸せだと思っていた日々は、夫にとっては幸せではなかったのかもしれない。

ただ夫がいてくれるだけで良かった。

自分を愛してくれている人がいるということは、ただそれだけで私を強くしてくれて、生きる意味を与えてくれた。

私は、夫が幸せに生きていてくれるならそれで良かった。

たとえ別々に生きることになろうとも、元気でいてくれるだけで良かった。

私と一緒にいることが夫を苦しめるなら、離れても良いと思っていたし覚悟はできていた。

夫の幸せを邪魔することだけはしたくないと思っていた。

それなのに、結果的に邪魔するどころか不幸にしてしまった。

辛すぎて、いまだに夜寝る前、一人になったとたん涙が止まらなくなる。

こんなに辛いことが世の中にあるのだと実際に身を以て知った。

そしてまだ現実を受け入れられていない。

夫がいないということを信じられない。

前を向きたいのに、まったく前を向ける状態ではない。

今でも、夫が何事もなかったように帰って来るのを待っている。

土曜日、夕方になると

夫のことを思い出す。

 

相変わらず「なぜ死んだ」か分からないので、なぜなぜと、問い続けてしまう。

子どもの成長を見たくなかったのだろうか?

 

私は周りを不幸にする人間だから、夫ではなく私がいなくなれば良かったのになぁと思う。

一番身近にいた私が、夫の死を阻止できないどころか気づきもしなかった。

明らかに、夫の方が仕事経験や知識等が豊富で、社会に有益なはずだ。

なぜ私が生きていて、夫が死んだのだろう。

罪悪感が消えない。

この気持ちは何年経っても変わらない気がする。

生きる意味を問う毎日だ。

今は、子どもだけが私に生きる意味を与えてくれている。

しかし、生きる意味が子どものことばかりになると、毒親になってしまうのではないかと我ながら不安になる。

 

最近、周りに指摘されるほど疲れている。

実際に「疲れた」と口にしてしまう。

元気がなかなか湧いてこない。

頭はいつもモヤがかかってるようだ。

病院、行った方が良いのだろうか。

明日、生まれかわる

予定ですが、明日は私の新しい人生の始まりになる日です。

明日で過去の私とは決別し、生き直したいと思っています。

一度死んでから生まれ変わるように、過去の私は明日死に、別の人生を始めるのです。

思いきり夫の死に影響を受けています。

夫と同じだけの時間を生き、夫と同じ寿命で死に、そして生まれ変わるのです。

少しずつでも、前へ進めるといいです。