あるがままに 感謝の日々

絶望から必死に立ち上がろうともがいている死別シングルマザー(2児の母)の日記です。

嘘だ 信じられない

あらためて、夫がこの世にいないことが嘘としか思えなくて、信じられていません。

三回忌が終わったにもかかわらず、現実感がまるでありません。

現実を受け入れようと思っていますが、本能的に受け入れることを拒否しているのだと思います。

それくらい、信じたくないし、受け入れたくないことなのです。

毎日寝る時に、夫の遺影を見ては不思議な気持ちになります。

なぜ、黒い縁の額に入ってるの?

なぜ動かない?

なぜ喋らない?

なぜ帰って来ない?

なぜ日常が戻って来ない?

あの日から、嘘の現実を生きてきたような感じがします。

まるで虚構の世界。まるで夢の中のような。

悪い夢の中で、悪い夢が醒めるのをただひたすらに待ち続ける毎日。

こんなんじゃいけない、まともな人間としてきちんと現実に向き合い、子どもたちのためにもしっかり生きなくては。

そう思うのに、そのスタートラインにすら立てない。現実を受け入れることすら出来ない。

そんな弱い自分にうんざりするし、子どもたちにとって大事な成長期にしっかり向き合ってあげられていないし、これからきちんと向き合っていかなければならない現実に恐怖すら感じる。

一番頼りたい相手であり、一番認めて欲しい相手がいなくなってしまい、何を支えにして頑張ろうかと戸惑うばかり。

辛い経験をばねに、むしろその辛い経験を活かして人生を有意義なものにできたら素晴らしいと思うのだけど、そんなに強くなるには、どうすればいいのだろう。

とにかく、強くなりたい。

 

 

 

3月になりました❁

もう3月、時の流れが早すぎてついていけていません。

息子はもう少しで小学校を卒業し、中学生になります。

娘は次は5年生になります。

私は相変わらず生きるだけで精一杯の日々でしたが、子どもたちは逞しいですね。

 

娘は4年生になってから朝起きられなくて遅刻が当たり前だったのですが、年が明けてからはほぼ遅刻しなくなりました。しかも、私が一緒に保健室まで行かなければ登校できなかったのに、今は一人で登校できるようになりました。

これも一体何が影響したのか分かりません。ひとつ思い当たることは、仲良しのお友達が出来たことです。 

それまでもお友達はいましたが、4年生になったらなぜかお友達と距離を置いて一人で過ごしたがるようになり、教室へ行けず保健室登校になったのでした。

そこから、私の説得と付き添い登校の日々が始まりました。

仕事にはたびたび遅刻して、よくクビにならなかったなと思うほどでした。

それが、年明けからガラリと変わったのです。

それまでのいくら説得してもだめだった日々から一転して、まるで今までが嘘だったかのように一人で登校しています。

 

あんなに悩み苦しんだ日々は何だったのだろうかと思います。 

 

不登校気味だった息子は、最高学年のこの1年間、ほぼ通常通りに登校できました。

一体なぜ登校渋りが解決したのか、近くでずっと見てきたのによく分かりませんが、とにかく私の知らないところで子どもたちは成長しているのですね。

 

ここから経緯を振り返るので少し長くなります。

息子は、自閉スペクトラム症のため支援が必要と考えて、2年生の時から週一回通級に通うようになりました。2、3、4年生の時には登校渋りや遅刻で付き添い登校をしていたため、仕事を遅刻や早退やお休みさせてもらうことが多かったです。

学校だけでなく家庭でも癇癪等の困りごとが多く、兄妹ともに発達凸凹を感じていたため、早い段階から発達支援センターに相談してはいましたが3年生の途中から、勧められた放課後等デイサービスを利用するようになりました。

4年生の時には朝起きられなくて学校を休みがちになり、病院を受診したら起立性調整障害と言われました。居場所を求めて、市が運営している適応指導センターに見学へ行きましたが、本人に合わなくて諦めました。フリースクールは高学年からの利用しか受け入れておらず諦めて、頼みの綱だった通級にも行くことを渋るようになり、週に1回放課後等デイサービスに救いを求めていました。

そして5年生の時に支援学級に転籍させてもらいました。それでも変わらず登校渋りがあり、学校以外の居場所として、年度途中から週に2回位フリースクールへ通うようになりました。

6年生になってからは学校に行けるようになったため、フリースクールへはほぼ行っておらず、籍だけ置かせていただいてます。

こうして今までの経緯を振り返ると、本当に悩みながらも試行錯誤してきたんだなと実感します。

 

春からは、息子は中学生として、娘は5年生として、どんな成長をしていくか見守りたいと思います。

記憶を消すことはできないから

一度死んだことにして人生をやり直すには、過去の記憶を消さなければならないと今更ながら気づきました。

過去の記憶がある限り、やはり過去に影響を受けてまっさらな状態からやり直すことは出来ません。

もちろん、記憶を消すことは出来ないので、消したつもりになるしかないですが、実際には消えてない記憶を消したつもりになるなんて、かなり難しいことです。

それが、大切な人の記憶であればなおさら。

悲しい結末にはなってしまったけど、幸せな思い出もたくさんあります。

いっそ忘れられたらいいのにとまで思いましたが、やはり忘れたくありません。

どうしようもない悲しみも、過去の幸せな思い出も、すべてをありのままに受け入れようと思います。

人生をやり直す強さよりも、現実を受け入れる強さが私には必要だったのだと今気づきました。

一度死んだつもりになる

なかなか前向きになれないまま、この2年数ヶ月を過ごしてきました。

しかし最近なぜか、「来月私は一度死んで生まれ変わる」...という考えが突然浮かんできました。

おそらく、夫が亡くなった当時と同じ年齢になった自分というものを意識しているが故に、浮かんだ考えだと思います。

もういい加減、自分を責めて後悔ばかりするより、一度死んだものとして人生をやり直した方がよほどマシなのではないかと思えてきたのです。

何かを見れば、「この時はまだ夫は生きていた」「この時はもう夫はすでにこの世にいなかった」と、すべての物事を夫の死を基準として認識する日々。

「この時は夫がまだ生きていたから幸せだった」「この時はもう夫がこの世からいなくなって苦しみが始まっていた」...と。

これは果たして正常な精神状態なのだろうかと、疑問に思えてきたのです。

夫は、子どもたちにも私にも、心の内を打ち明ける言葉やお別れの言葉等は何も遺していませんでした。

もしかしたら夫のスマホの中にあるのかもしれませんが、ロックが解除出来ない以上は確認できません。

そうなると、遺族が心の拠り所にできるものは一切何も遺されていないも同然です。むしろ、亡くなる前に書いたであろう文書にあった絶望に満ちた辛辣な言葉しかないのです。

この状態から前を向くには、もう過去は忘れてやり直すしかないように思えるのです。

亡くなった人は無になったとしても、遺された人たちはこれから苦しみを抱えて生きなければならないのです。

遺された者として、私の場合は、一度死んだことにして人生をやり直すくらいでなければ、これから生きていくことが難しいと感じています。

 

いいこと聞いた

寝る前に、その日にあったいいこと、感謝できること、嬉しかったこと、楽しかったことなどを3つ手帳に書き出すと、翌日の目醒めが良いそうです。

寝る前といえば、夫のことを考え自分を責め、後悔する毎日でした。

今まで真逆なことをしていました。

これから、変えようと思います。

なぜ

ずっと「なぜ」と問い続けています。

時間を戻せたらいいのにと、これほどまでに強く願ったことはないです。

本当に悔やんで悔やんで、どんなに悔やんでも足りません。

こんな生き地獄をいつまで味わい続けなければならないのでしょうか。

苦しくて仕方がありません。

もう、以前のような、何の曇もなく未来に希望を持っていた自分には戻れません。

キラキラ輝いていた曇のない心は二度と戻っては来ません。

ずっと後悔に苛まれ、永遠の絶望しかないのです。

なぜ、こんな人生になったのでしょうか。

どんな悪いことを私がしたというのでしょうか。

 

元気が出ない

今日仕事から帰ると、自宅の駐車場の雪が少しだけ残っていたところに「死」を連想する言葉が書いてあったのですが、それがずっと頭から離れません。

常に自責感があり、「なぜ夫は死んで私が生きているのだろう」と思いながらこれまでやってきました。

私自身「自分は死んだ方がいいのかもしれない」と感じることがあるので、書かれていた言葉が死への後押しに思えてくるのです。

毎日、亡くなった夫のことばかり考えてしまうし、自分の残りの人生は、消化試合に思えてくるのです。

子どもたちの存在が、唯一私の生き甲斐で生きる意味だと感じています。

その生きる意味すらもなくなりそうなほど、心が削られて元気が出ません。

誰か分からない人からぶつけられた言葉がこんなにも恐怖を感じるものなんだと、身を以て学びました。