あるがままに 感謝の日々

絶望から必死に立ち上がろうともがいている死別シングルマザー(2児の母)の日記です。

3月になりました❁

もう3月、時の流れが早すぎてついていけていません。

息子はもう少しで小学校を卒業し、中学生になります。

娘は次は5年生になります。

私は相変わらず生きるだけで精一杯の日々でしたが、子どもたちは逞しいですね。

 

娘は4年生になってから朝起きられなくて遅刻が当たり前だったのですが、年が明けてからはほぼ遅刻しなくなりました。しかも、私が一緒に保健室まで行かなければ登校できなかったのに、今は一人で登校できるようになりました。

これも一体何が影響したのか分かりません。ひとつ思い当たることは、仲良しのお友達が出来たことです。 

それまでもお友達はいましたが、4年生になったらなぜかお友達と距離を置いて一人で過ごしたがるようになり、教室へ行けず保健室登校になったのでした。

そこから、私の説得と付き添い登校の日々が始まりました。

仕事にはたびたび遅刻して、よくクビにならなかったなと思うほどでした。

それが、年明けからガラリと変わったのです。

それまでのいくら説得してもだめだった日々から一転して、まるで今までが嘘だったかのように一人で登校しています。

 

あんなに悩み苦しんだ日々は何だったのだろうかと思います。 

 

不登校気味だった息子は、最高学年のこの1年間、ほぼ通常通りに登校できました。

一体なぜ登校渋りが解決したのか、近くでずっと見てきたのによく分かりませんが、とにかく私の知らないところで子どもたちは成長しているのですね。

 

ここから経緯を振り返るので少し長くなります。

息子は、自閉スペクトラム症のため支援が必要と考えて、2年生の時から週一回通級に通うようになりました。2、3、4年生の時には登校渋りや遅刻で付き添い登校をしていたため、仕事を遅刻や早退やお休みさせてもらうことが多かったです。

学校だけでなく家庭でも癇癪等の困りごとが多く、兄妹ともに発達凸凹を感じていたため、早い段階から発達支援センターに相談してはいましたが3年生の途中から、勧められた放課後等デイサービスを利用するようになりました。

4年生の時には朝起きられなくて学校を休みがちになり、病院を受診したら起立性調整障害と言われました。居場所を求めて、市が運営している適応指導センターに見学へ行きましたが、本人に合わなくて諦めました。フリースクールは高学年からの利用しか受け入れておらず諦めて、頼みの綱だった通級にも行くことを渋るようになり、週に1回放課後等デイサービスに救いを求めていました。

そして5年生の時に支援学級に転籍させてもらいました。それでも変わらず登校渋りがあり、学校以外の居場所として、年度途中から週に2回位フリースクールへ通うようになりました。

6年生になってからは学校に行けるようになったため、フリースクールへはほぼ行っておらず、籍だけ置かせていただいてます。

こうして今までの経緯を振り返ると、本当に悩みながらも試行錯誤してきたんだなと実感します。

 

春からは、息子は中学生として、娘は5年生として、どんな成長をしていくか見守りたいと思います。